こち亀シリーズ第10弾です。
これまで、佐賀県が誇る伝統工芸「諸富家具(リンク)」「有田焼(リンク)」や、西九州新幹線開業に沸く武雄市の「武雄温泉(リンク)」「西川登竹細工(リンク)」「弓野人形(リンク)」、月の引力が見える町「佐賀県太良町(リンク)」、銘菓「小城羊羹(リンク)」、砂糖伝来の道「長崎街道シュガーロード(リンク)」を取り上げました。
今回のテーマは、佐賀が生んだ不運の発明家「宮崎 林三郎」氏。
1857年生まれの宮崎氏は、眼疾により若くして失明に至るも、農家の発展を目指して「縄ない機(*)」を発明した人物です。(参考:宮崎林三郎 – さがの歴史・文化お宝帳)
(*) 藁を綯(な)うための機械。製縄機ともいう。
製縄機|関ヶ原町歴史民俗学習館 HP より引用
病気という不運に見舞われるも、農業の発展に尽力した宮崎氏。その道程から勇気をもらうことができ、同時に、宮崎氏が開発した「縄ない機」には一種のブランド力を感じます。苦心した過程が共感を呼び、一種のブランドを構築しているということでしょう。
そこで本記事では、「不運」に関連するこち亀を眺めていくとともに、尊敬の念を込めて、「縄ない機」について宮崎氏が出願した特許&実用新案についても紹介します。
こち亀には様々なシーンが描かれていますが、特に「不運」だと感じるのはこちらのお話です。
人生は「塞翁が馬」であり、ブランド化は一朝一夕にはいかない
- こち亀概要(コミック第65巻「人生色いろ!の巻」)
朝、寮母さんからゴミ出しを頼まれた両津。その対応に応じてストーリーが上下2段に分かれるという斬新なお話。下段には「不運ストーリー」が描かれており、階段から転落、自転車が壊れる等が起こる。そして極めつけとして、両津は以下の不運に見舞われるのであった。
こち亀コミック第65巻 P79 より引用
状況は割と悲惨で、絶対に体験したくない不運ですね。財布まで落としたとあれば、泣きたくなるのも頷けます。
しかし人生は色々。不運もあれば幸運もあるものです。本話においては、両津が道案内をした富豪老婆がその後派出所を訪れ、親切にされた御礼として純金の招き猫を両津にプレゼントします。
極端な例ですが、いずれ必ず良いこともある。その逆も然り。ということを考えさせられるお話ですね。いかなる状況になろうとも「人間万事塞翁が馬」を意識してコツコツと信用を積み重ねていくことが、ブランド力を上げることに繋がるのでしょう。
ところで佐賀県の宮崎氏は、当初は漁網製造を志すもうまくいかず、「縄ない機」へと方針転換します。そして「縄ない機」が見事完成し、日露戦争によって縄の需要が高まったことをきっかけとして、世間に広まっていくことになりました。(参考:宮崎林三郎 – さがの歴史・文化お宝帳)
不運にただ耐えて一つの道を進むだけでなく、幸運を自ら掴みにいく姿勢が大事なのかもしれません。
最後に、宮崎氏によって出願された特許及び実用新案を紹介します。
「縄ない機」関連の知的財産情報
特明9811号:縄撚器
出願日:1905.11.11 発明者:宮崎 林三郎 氏 J-PlatPat リンク
特明9811号
1905年(明治38年)、宮崎氏が48歳の時に出願された発明です。漏斗形(カ)から藁を挿入し、巻取車(ラ)を回転させることで縄をなう装置。現存する製品とほぼ同等の構成であり、確かに宮崎氏が明治時代に「縄ない機」開発に尽力していた証左ですね。
そして約1年4ヶ月後、より洗練された構成にて実用新案登録出願がなされています。
実明6352:製縄器
出願日:1907.3.31 考案者:宮崎 林三郎 氏 J-PlatPat リンク
実明6352号
こちらは巻取車(ヌ)が1つのみであるシンプルな構成であり、実製品に対応する図面といえそうです。図中右端にある漏斗形(レ)より藁を入れ、動力を用いて縄をなっていきます。
以下動画にて実演の様子が紹介されていますので、ご興味ある方は是非ご覧ください。
Youtube 動画:縄ない機と縄ないの実演|練馬区文化振興協会公式チャンネル, 2022.5.20
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